space_inframinceは、「肌からはじまる身体をとりまく環境」をコンセプトに、基礎化粧を基点として生活・日常によりそうアイテムを取り揃えるメーカーのオフィス・プレゼンテーションルーム・ショップを併せ持つオルタナティブスペースです。日常への新たな視点や創造的な発見を生む場として、さまざまなイベントを展開していきます。
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“現代美術の父”と称された マルセル・デュシャン による造語です。
「下の、下方の」という意味の接頭辞「infra-」 と、
「薄い」という意味の形容詞「mince」を組み合わせたフランス語です。
日本語では「極薄」、「超薄」と訳されます。
デュシャンはアンフラマンスという言葉に明確な定義を残しませんでしたが、アンフラマンスに関してのメモを複数残しています。その中で邦訳されているいくつかのメモを引用します。
上記で紹介したデュシャンのメモの1つから、現代の私たちの生活においてイメージしやすいであろう以下のメモに注目したいと思います。
「(人が立ったばかりの)座席のぬくもりはアンフラマンスである」
このような、すぐに失われてしまうかのような一瞬の出来事(いま、ここ)、時間と空間への意識を喚起させる瞬間の生成を目論む過程でデュシャンはアンフラマンスという言葉を創造したのでないかと私たちは考えます。
そして上記の一例を受容する場合に
触覚は非常に大きな位置を締めています。
身体から環境に至る導線を考えるとき、皮膚という器官は人体の内と外を区切る境界であり、体の表面全てを覆う防御壁であり、感覚器官(触覚)でもあります。
そして皮膚という器官もまた“極めて薄い”存在です。
その繊細で透明性を持つ曖昧な器官 = 皮膚 を介して私たちは世界を認知しています。
その能力は決して 視覚 に劣ることなく、様々なものを実体(実態)として受容することのできる感覚器官です。
デュシャンは図書館司書として勤務していた時代に遠近法(透視図法)の研究に没頭しています。西洋美術においてカメラ・オブスクラが登場し、普及するまで、遠近法(透視図法) の確立は一つの大きな問題で、様々な技法が生まれました。錯覚に陥りやすい視覚認知が如何に脆弱なものであったかを熟知していたデュシャンはその特性を 生かし、様々な作品へ反映させますが、視覚以外の感覚器官への興味もまた並々ならぬものがあったことは絵画制作を放棄したことや上記のアンフラマンスに関するメモをみれば明らかです。
アンフラマンスという現象や状態は何も特殊な状態ではありません。
むしろ、日常に潜む可能性への些細な"気づき"にあります。
生きること = 生活することとは、
様々な“技術”の横断と編集の絶え間ない研磨であり、
生活に直面する問題は(程度の差はあれ)、
常に日々の様々な「気づき」と
それに伴う“実験/ 実践の継続”によって解決されてきました。
有用な“技術”の発明を促す“気づき”の為に何が必要か?
その源は「アート」にあると考えます。
アート = art とは元来、“術、または技術”という意味でした。
art の語源は、ラテン語でアルス =ars、ギリシャ語でテクネー = techne
生活を営むこと = 技術の集積と考えれば
生活の諸形式はアートの源であり、アートの根源的要素を含有している
と言えます。
フルクサス(1960 年代に発生した芸術運動)が芸術と生活のボーダーを超え 「日常を芸術化し、芸術を日常化」を標榜したことは何ら特殊な事例ではなく、自明なことへの回帰でもあったのです。
私たちの組織 = アンフラマンスは
日常に潜む諸感覚への喚起を生む出来事を創造していくために、
人体において外界に最も近接した器官である皮膚と環境の間において
様々な提案を展開して行きたいと考えています。